田園都市線が衝突事故をおこして、一部不通振り替え輸送だとか。原因は何であれ、この手の事故が今後はますます増えるだろう。インフラ系の故障、事故、事件、災害が増えるのは、ほぼ確実。上下水道、ガス、電力、道路、河川、公共交通がダメになって、その手当てが間に合わず放置される傾向が強まる。路線が廃止されたり橋が通行止めのままとか。
そこで思ったのは「オフグリッド」的な暮らし。でも個人レベルの粒度だとオーバーヘッドの無駄が大変なことになりそう。だったら、コンパクトシティという考え方を取り入れて、オフグリッドのオーバーヘッドの割合を小さくするようにコミュニティを設計したらどうか。
そこで思い至るのは自治会とか町内会という粒度なんだけど、実際のところ、自治会や町内会は廃れる傾向にある。なぜかというと、住民が地域活動に振り向ける時間や意識といった個人リソースが足りないからだ。生活のかなりの部分を、居住地域とは別の場所での活動に費やしているから。
かつては大家族のご隠居連や専業主婦が地域との接点として世帯のリソースを投下できていたかもしれないが、いまは約半分の世帯が核家族で、7割が共働きになっている。ちなみに3分の一強が独居世帯だ。
そもそも職住が離れているというのが、地域に投下できるリソースの減少理由なんだと思う。職住分離には本来的にいろいろな我慢や無理があるのだろうから、そのムリさ加減を個人が自覚して、働き方、仕事に対しての認識が大変化をおこせば、オフグリッドなコンパクトシティというのが可能になるのかな。
コンパクトシティ オフグリッド
AI による概要
「コンパクトシティ」は都市機能を集中させ効率化を図る都市構造、「オフグリッド」は既存の電力網や上下水道に依存しない生活様式です。両者を組み合わせることで、インフラの効率化と持続可能性を高めることは可能ですが、現状では別々の概念として議論されることが多く、直接的な関連性は薄いとされています。コンパクトシティとは
定義:都市の機能(住居、公共施設、商業施設、医療施設など)を特定のエリアに集約する都市構造のことです。
目的:公共交通機関での移動を容易にし、都市の利便性やサービスの向上、インフラコストの削減、高齢者や子育て世帯が住みやすい環境づくりを目指します。
例:富山市は、中心市街地に都市機能を集中させ、公共交通を整備するコンパクトシティの先進事例として知られています。
オフグリッドとは
定義:電力会社などの外部インフラに頼らず、太陽光発電や蓄電池、雨水利用など自給自足のシステムで生活を成り立たせることです。
特徴:環境負荷の低減、エネルギーの自給自足、災害時のレジリエンス向上といったメリットがあります。
コンパクトシティとオフグリッドの関係
組み合わせの可能性:機能を集中させたコンパクトシティと、エネルギーを自給自足するオフグリッドのシステムを組み合わせれば、より持続可能な都市の実現に繋がる可能性があります。例えば、地域エネルギーシステムとコンパクトな都市機能が連携する都市などが考えられます。
現状での距離感:しかし、現状ではそれぞれ異なる文脈で語られることが多く、両者を結びつける研究や実践はまだ多くありません。コンパクトシティは主に都市計画やインフラの効率化に焦点があり、オフグリッドはエネルギーや環境技術に焦点があるため、別々の概念として捉えられています。
勘所は職住近接なんだろう。けど、みんな郊外の一軒家に住んで都心の大企業で働きたいと思うわけだ。
電車通勤が進展したのは、
・都心外縁のターミナル駅から郊外に敷設された鉄道
・関東大震災で壊滅した都心から脱出して郊外へ
の動きが原因らしい。1950年代に電車通勤の傾向はピークを迎えた、と。当時は専業主婦が当たり前だから、世帯のリソースを居住地域に投下することができたのだろう。だから、自治会や町内会が成立して機能していた。1955年の専業主婦の割合は約75%。
ところが、1990年代には共働き家庭が多くなっている。時代が変わったんだ。1990年代と云えばバブル以降、その時点で日本は変質している。
としたら考えも変えて、職住分離ではなく職住近接、地域密着の仕事、もしくは場所に縛られない働き方を選ぶのが賢い選択となるだろう――とありふれた結論にたどり着く。そんなありふれた結論を実現する視点として「コンパクトシティ×オフグリッド」というのを掲げたいけど、どうかな。
まあ、人間は変化を苦手とするから難しいだろうけど。そもそも「勝ち組」と云われる人にとっては関心ないことだよね。