コロナをきっかけとしたかどうかはわからないけど、この1年くらいで、ネットは新しい時代に入っていると思う。イケてる奴等は、どこかのサイトやドメインを拠点にしてそこで自我を開示するんじゃなくて、神出鬼没にあちこちで現象として出現するみたいな存在、いや、もうそれは「存在」とは呼べないかもしれない「現象」だ。
そこに「居た」のは確かなんだけど、いまは何処に居るのかわからない。なんか量子論的なんだけど。
もしかしたらエンティティとかじゃなくて、ある範囲での現象としての性質のようなものが、モワァ~って漂って「居た」ことが「知られている」という曖昧模糊としたもの、そんな状態に誰もが憧れを持つ時代がやってきているんじゃないか、て。流通が不可能な現象として。
明確なオブジェクトやエンティティは、これから先はAI生成による結果である可能性が高くて、だから、生身の「本当の人間」はエンティティで指し示されるようなものではなくなるだろうし、まともな人間はそんな具合に指し示されてポインターで管理されるのを忌避するようになるんじゃないか、て思う。
そうなると、どうなるか。
新紙幣に惑溺とまでは云わないまでも、ある種の興奮を覚えるような恵まれたセレブ連(疑似も含む)を隠れ蓑にして、奴等は銀行のカウンターの裾野の影の中を駆け抜けるようにして、世界を物していくのではないか、って思うわけだ。奴等には混ぜ物無しのピュアなネットが開かれてある。
銀行のカウンターのすそ野の影の中を音もなく疾走する気配が「あった」という印象だけを残す、それこそが実体としても意味を帯びてくるんじゃないか、て思う今日は猛暑日。あちぃ、な。いろんな意味で。
この夏、何かが変わるとしたら、そこらへんだろうと思う。